第5 話 Fuerteventura Again

ブログのネタ切れ救済策としてはじめた、ウィンドサーフィン回想録も今回で5回目、、、

1996年1月、米国シカゴから大西洋経由で英国へ転勤。いつになれば青空の下でウィンドサーフィンが楽しめるのか、ロンドンの曇天の日々に嫌気がさしてきた同年の夏、M氏ファミリーと、再び、ウィンドトリップへ、、、

行き先は私にとって、2度目のフエルテベントゥーラ、、、私はロンドンから、M氏ファミリーはシカゴから合流。M氏のお兄さんは日本からは残念ながら、参戦できず、、、、

前回はビビッて海に入ることができなかったのですが、心強いM氏と連日強風を満喫。

M氏は私よりもウィンドサーフィンだけでなく、写真の腕前も断然上です。当時は防水のデジタルカメラなどなく、使い捨てカメラ+プラスチックの使い捨てハウジング。小さなファインダーで狙いを絞り、手巻きでフィルムを巻く一連の作業を強風下の海上で行い、現像してみなければどんな風に写っているか分らない一か八かの撮影。

被写体のメタボ体型、低速プレーニングにも拘らず、躍動感のある芸術作品。デジタル化し、改めて感動と記憶が蘇ってきました。

写真はダブルクリックで拡大されます。2回のダブルクリックで最大拡大。ポーズつけて片手放してます。

私もM氏を撮影するものの、見れたものではなく、ピンボケやフレームから外れたものばかりで、フィルム無駄使いのオンパレード、、、、改めて御礼とお詫びまで、、、。

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オヤジアスリート集結@新撰組

くだらない私のウィンドサーフィン回想記に飽き飽きされている方も多いかと思いますが、一方では、” 実は私も昔は、ウィンドサーフィンやってまして、今はトライアスロンにハマッてます…”という方が2名も私のブログやfacebook経由で繋がるという喜ばしい副産物。

昨夜は、そんなことでアーバインにお住まいのHiroshiさんと”はじめまして”のご挨拶を兼ねて飲み会をファウンテンバレーの新撰組にて開催。お忙しいところ、Jimmy さん、Akiraさんにもお声を掛けさせて頂き、急遽4人の中年オヤジアスリートが集結。平日の夜から、焼鳥片手に、熱いトラ話で大いに盛り上がりました。

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第4 話 コロンビアゴージ 

極寒のシカゴで11月末にウィンドサーフィンを楽しもうというのは正気の沙汰ではありません、そんな中で偶然に出会った日本人。車載のボードとマストの数から、明らかに私以上にウィンドサーフィンに没頭していることが分る。そんなM氏とはすぐに仲良くなり、特にお互い誘い合う訳でもなく、ホームゲレンデであったWolf Lakeにて春、夏、秋を過ごすこととなる。、M氏から、日本に住むM氏のお兄さんと一緒にオレゴンフッドリバーにウインドトリップを計画している話を聞き、ご一緒させて頂くことに、、、1995年9月。メンバーは、M氏と奥様と息子さんのご一家、日本から参加のM氏のお兄さんとお兄さんの彼女、そのファミリーに私が加わる。オレゴン州ポートランドから車で1時間程、内陸に入ったコロンビアリバー沿いの一軒家を借り切っての合宿。

お兄さんもウィンドサーフィンをこよなく愛する”アウトドア+スポーツの達人”。風待ちの午前中はゴルフ、午後からは吹き荒れるサーマルウィンドで、ウィンドサーフィンを満喫。その後はジャグジーでビールを飲みながら、疲れた身体をほぐし、夕食は女性陣手作りの美味しい料理に舌鼓を打ち、夜中まで飲むという、極楽トリップ。 そんなM氏ファミリーとのお付き合いはシカゴだけで終わることはなく、1996年、私がシカゴからロンドンに転勤となった後も、M氏ファミリーとまたまたウィンドトリップへ、、、、

第5話へ続く、、、

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第3話 極寒のシカゴ

1992年5月、シカゴ転勤。

1989年、神戸に本社のある会社に再就職するものの、1年後東京本社移転。千葉県市川の独身寮から検見川浜をホームゲレンデとして機嫌よくウィンドサーフィンを楽しんでいたのですが、シカゴ転勤辞令を受け、道具一式を船便引越し荷物に入れて、、、、

 シカゴはミシガン湖に面し、風光明媚、綺麗な街で、愛称”Windly City”と呼ばれる程、風が強く吹くとくれば、日本男児の根性をみせたろやないか、、、、と熱く、ミシガン湖にてアメリカ本土、ウィンドサーフィンデビューするものの、琵琶湖、本栖湖、浜名湖と過保護に育ったため、ミシガン湖の予想以上の強風とグチャグチャな波の洗礼を受け尻尾を巻いて帰る結果と相成ります。

その後、現地事情を調査、車で1時間程南下したインディアナ州のWolf Lake をホームゲレンデとすることとなります。ここはミシガン湖からの北風の影響を受けるものの、フラットで流される心配もなく、同僚のUさんという仲間にも恵まれ、ここでも楽しいウィンドライフを満喫することとなりますが、11月から4月までは生命の危機にさらされる極寒で、ウィンドサーフィンを楽しむ人は皆無となります。 ある日(サンクスギビングの週末だったと記憶しますが、、)、暇な私はついつい好天、強風という天気予報を信じ、いつも通りWolf Lakeへ、、、するともう一台ウィンドサーフィンを積んだ車が来たので、遠目から見ていると、なんと車から日本人が降りてきました、、、、、

第4話に続く、、、、、

写真は当時乗っていたChevrolet Astroとボードです。

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第2話 スペイン フエルテベントゥーラ

1989年夏、仕事を辞め、スペイン旅行へ。
マドリットやバルセロナの美術や建物など観光スポットを足早に回り、マラガからカナリア諸島へ飛ぶ。その理由は、ウィンドサーフィンのポイントが散在するリゾートの島々だったからです。貧乏旅行でしたので、行き当たりバッタリでランサロテ(アイアンマンレース開催地のひとつ)からフエルテベントゥーラへフェリーで渡り、レンタカーでソタベントを目指します。最低1週間という宿泊施設料金を4日の滞在予定で交渉。翌日、ウィンドサーフィンのポイントに出かけてみるも、噂以上の強風で、更に陸から海に向けて吹いているため、自分の実力では太刀打ちできない(流された場合はアフリカまで単独漂流してしまう、、、、、)と、この地でウィンドサーフィンをするのを断念。翌朝、なにやら外から聞きなれた日本語のような言葉が聞こえてくるので外にでると、、なんとそこには鈴木ケイザブロー(同氏は、ウェブライダーとしてだけでなく、月刊High Windに連載コラムをもつなど、ウィンドサーフィン界でも稀に見る多彩な才能の持ち主で、現在でもラジオのパーソナリティを20年以上続けられています。)がスピードトライアルに参戦の為、ボードシェーパーの宮本氏を擁するサポートチームと、、

突然の出来事に、興奮して充分な挨拶もできない不審な日本人にも拘らず、何かお手伝いさせてくださいという申し入れを即座にご快諾頂き、Team Far Eastの仲間入り。

スピードトライアルは当時日本でも天竜川で大会が行われるなど地味ながら一部で盛り上がっていましたが、実際に見るのは初体験。ウィンドサーフィンは風の強さに合わせ適切なセールサイズを選びますが、強風の為セールサイズを小さくするとスピードが落ちますので、体が持ちこたえる最大限のセールサイズを選ぶことになります。そんな強風に加え、スピードを計測するため、波打ち際で開催されることが多く、小さな波でも、時として、ビッグウェーブよりも危険な劇沈となります。

大会は予選から始まり、記録によって本選進出が決定されます。予選初日にケイザブロー氏は何度かのトライアルの後、自己最高記録で同時に日本新記録でもある35ノットを記録。樹立の瞬間に立ち会うことができ感無量の私は男泣き、、、。同氏のスピード記録は今でも日本記録として保持されているのでは、、、無計画ではじまった一人旅の最後に素晴らしい人達に出会えたことで、更にウィンドサーフィンにのめり込むこととなります。

ビデオは同じくスペインのテネリフェにて開催されたスピードトライアルの映像です。

本文内の写真はクリックすると拡大されます。真ん中のピンクのTシャツがケイザブロー氏。左下の写真の鉛筆の様に尖ったノーズ、細いボディが特長であるスピードトライアル専用ボートは宮本氏が気合を込めて製作されたもので、デッキにはFar East を象徴する日章旗のデザイン。

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第1話 出会いを求めて、、、

高校、大学時代にはサーフィンとは無縁の人種、はじめるには出遅れていたので、女の子にモテるためにはと選んだのが、当時流行はじめていたウィンドサーフィン。安易な理由ですが、そのためには道具一式と移動の為の車は必要となります。ボード、セールは中古のコンプリートセット、車も廃車寸前のISUZU ジェミニを2万円で友だちから購入。悪友達と毎週末、琵琶湖に通う日々が続きましたが、何事も思い通りに運ばず、、、

その理由は強風吹き荒れると、ここぞとばかりに夢中になり、特に極寒の琵琶湖に喜んで一緒に来てくれる女の子はおらず、、、その反動からか、次第にウィンドサーフィンの魅力にハマッてしまい、道具だけが増え、常時、ボード2本、マスト3本、ブーム3本、セール4枚でスタンバイ。車は車中泊も可能なセドリックのステーションワゴンへと、、、。 夏冬の長期休暇となれば、本栖湖、浜名湖へ遠征。また当時は、聖地である御前崎でSOMETIME ワールドカップがで開催されており、毎年、憧れの選手を一目見るために出かけていました。

(バブルな時代を思い出させる映像です。)

1989年、大学卒業後4年間勤めた会社を辞め、気ままなヨーロッパ旅行へ、、、

第2話に続く、、、、

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